ここ2,3年ぐらい前から1970年~80年代あたりの和製シティポップが海外のリスナーに気付かれ、掘られているという話しをよく見聞きするようになった。その代表的な2曲とされる「プラスティック・ラブ」と「真夜中のドア」についてはいろんな人がヒットの理由とか曲の分析を行っているので興味のある方はそちらを調べていただくとして自分なりに考察してみた結果、この2曲の共通点はダンスミュージックである、と。「そんなの曲を聴けば分かる」と言われそうだがここは敢えて大事なポイントとして押さえておきたい。
まず「プラスティック・ラブ」が収録されている竹内まりやさんのアルバム『VARIETY』
タイトル通りバラエティーに富んだ収録曲の中で「プラスティック・ラブ」はアルバム発売翌年に12インチでシングルカットされている。
竹内まりや「プラスティック・ラブ」1985年
当時の12インチシングルはダンスミックスを施してロングバージョンにするのが主流でありアルバム曲中でもそういう位置付けだったことが窺える。
松原みき「真夜中のドア」1979年
「真夜中のドア」の元ネタとされるCAROLE BAYER SAGER「It's The Falling In Love」が収められているアルバム『...Too』を聴けば、
CAROLE BAYER SAGER『...Too』1978年
アコースティックな雰囲気の中、もう一曲「I Don't Wanna Dance No More」と2曲だけが当時のディスコブームを意識した曲作りがなされていることが分かる。
このように「プラスティック・ラブ」と「真夜中のドア」がダンスミュージックであると結論付けておいてここからが本題、「プラスティック・ラブ」「真夜中のドア」に続く第三の曲は何か?実際には1970年~80年代J-POPの音の質感みたいなものが海外のリスナーに受けていてその頃の中からまた何かピックアップされそうな気もするが場末のスナック的にそれでは面白くない。2021年の感覚からすればちょっと懐かしいけど十分かっこいいダンスミュージックとは?そこで白羽の矢を立てたのが1990年代初頭の歌ものハウスである。
Chara『Violet Blue』1993年
谷村有美『Docile』1992年
この曲の編曲を担当した大村雅朗氏は1980年~90年代の歌謡曲を多く手がけた人。この曲以前の谷村有美さんはハウス、テクノサウンドとは無縁のイメージだった。その二人が手を組んだこの曲はリミックスバージョンではなく正規のアルバム一曲目である。いかに当時ハウスブームの波が押し寄せてきていたかが分かる曲だと思う。谷村有美さん、いろいろ大変そうだけど頑張って欲しい。
金沢明子『HOUSE MIX 1』1991年
1990年代は自分のような素人がサウンドクリエーターに注目し始めた時代でもあった。誰がミックスを担当しているのか?という。口元でロウソクの火を灯しながら歌っても火を消さないで歌える民謡歌手、金沢明子さん。彼女が歌う民謡にディープなミックスを施したのは寺田創一氏。これはもう、アイディアの勝利である。
小泉今日子『No17』1990年
サブスク解禁された小泉今日子さんの曲を聴いていると楽曲の良さを追求するというよりその時代に旬のミュージシャンを集めることに主眼が置かれているような。“曲は人が育む”、才能ある人に頼めば自ずと良い曲が出来るということか。この曲のクリエーターは屋敷豪太氏と藤原ヒロシ氏。
小泉今日子-LaLaLa...(Official Video)
桐島かれん『ディスコ桐島』1991年
サディスティックミカバンドの再集結時にボーカルを担当した桐島かれんさん。90年代歌謡ハウスといえば忘れてならないのが近田春夫氏。この曲は当時の近田氏のバンド、ビブラストーンのメンバーが勢揃いして演奏している。
CALIN『朝の少女~エオラド』1995年
一昨年、ピチカート・ワンのライブで小西氏が「東京は夜の7時」は福富幸宏氏の編曲が素晴らしい、というようなニュアンスのことを話しておられた。自分も外出先の店とかで「東京は夜の7時」がBGMとして流れてくると耳を惹きつけられる感じがして世代だから?と思っていたが今の時代に普遍性を帯びてきているのでは?と思うようになった。そんな訳で福富氏だがハウスじゃないこの曲は細部まで考え抜かれていてやけに気合いを感じるのは自分だけだろうか。
海外から来日したクラブDJが90年代の和製ディープハウスのレコードを調達して母国に帰って紹介している、というようなこともあるらしいのでひょっとしたら“歌もの”に関しても周知されているかも知れない。
ラストは前回に続いて「Shangri-La」と思ったが90年代ハウスの音を彷彿させる曲のMVがあるのでそちらを貼ってお終い。良いGWを~☆
電気グルーヴ『人間と動物』2013年