松任谷由実「悲しいほどお天気」を読み解く

ユーミンの過去の作品、全アルバムがサブスク解禁となった。

お陰で最近ユーミンばかり聴いてるという人が結構いるのではないか。自分もその一人。今回はとにかく神懸かっている歌詞の読解を試みてみようという趣向である。

ユーミンのことを書くにあたって古い本を引っ張り出してきた。ユーミンのそれまでの全アルバムについて御本人がコメントしており『悲しいほどお天気』については私小説というコンセプトで作られた作品。意識的に美大生だった頃のことを詞にしている、と書かれてある。ただしこの曲で描かれている内容はフィクションである、とも話している。

物語は現在の《私》の視点で全て語られている。美大生だった頃の状況を思い出しているのだ。

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松任谷由実『悲しいほどお天気』1979年

 悲しいほどお天気, a song by Yumi Matsutoya on Spotify

 

 ♬ オープニング~最初のサビ終わり

クラスメイトと共に絵を描くことに打ち込む日々。授業の課題や展示会に向けて絵を仕上げることに一丸となって努力している状況が目に浮かんでくる。いずれみんな離ればなれになることの不安など微塵も感じていない。

ここでキーワードとなるのは【気づかず】という言葉。主人公の《私》は学生時代、凄く大切なことに気づいていない。“鈍感”というより“未熟”という意味に近いイメージだろう。

 

♬ ~2回目サビ終わり

ここでポイントとなるのが【臆病だった~】というセンテンス。

《私》は就活においてリスキーな芸術家や才能が求められる絵を描く仕事ではなく自分に合った堅実な仕事、派手さはないけど地に足のついた生活が送れる現実路線を選択した、ということを意味している。そしてその生活は満足とまではいかないまでもある程度充実していて《私》は絵に対して何の未練もない訳だ。だから《あなた》から個展の案内がきたことは“うれしい”のでありこれが絵に未練があれば“うれしい”とはならないはずである。サビで繰り返されるセンテンスの裏には時間が経過することによる残酷さが隠れている。

 

♬ ~ラストセンテンス

【悲しいほどお天気】という言葉は絵を描く側の心理状態によって描かれる絵のタッチが変わる、ということを意味している。“敏感”というイメージと共にここでは“成長”という意味が当てはまるのではないか。

例えば詞中の《あなた》を《私》に変えればセンテンス全体の理解はしやすくなる。デビューアルバムに収録されている「曇り空」みたいに若い女性の気紛れな心理ということで片づけられる。しかしここでは《私》ではなく《あなた》であることから少々踏み込んだ解釈が必要になってくる。【いつまでも~あなたの描いた風景は】この部分により大学四年間で《私》に対する《あなた》の影響力が絶大だったことを伺わせる。《私》は《あなた》の才能を認め《あなた》の描いた絵が好きだった。

要するに《私》は《あなた》の絵を見れば《あなた》の心理状態が分かるくらい《あなた》の存在が大きくて《あなた》から教わったこと《あなた》を通して知ったこととは物事は一面的ではなく目に見えていない側面にも意味がある、ということだった。

大切なことに気づいていない学生の頃の《私》に対して心の中の大切な場所(「悲しいほどお天気」の英語タイトルは「The Gallery in My Heart」)にある風景は【悲しいほどお天気】であることに気づいている現在の《私》。過去と現在を繋ぐ見事な相関関係が出来上がっている。これだけの内容を短い詞の中で表現しているのだから神懸かってるとしかいいようがない。結論としては一人の女性の成長譚と捉えることも可能であろう。

歌唱が終わった後、約50秒のアコギをメインにしたエンディングが用意されている。この演奏には《私》の未来が暗示され、自由闊達なその後を予測させるのであるがいががだろうか。