1953-2019

今回はブログを始めて以来初めて音楽以外の事、個人的な話に終始する内容であるため興味ない方はここでサイトからの離脱をお願いしたい。

 

 

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この夏、自分の母親が亡くなった。そのことにまつわる話である。

だからといって生活は何一つ変わっていないのだが気持ちの面で影響が大きいというか。

母親の死因は頭部外傷による急性硬膜下血腫。病院と警察の検証により事件性なしと判断された。

自分は病院のベッドで横たわっている母の手を触った瞬間、冷たくなっているのを感じて放心状態に陥った。一言も言葉が出なくなったのだ。

事故や自然災害で突然肉親を亡くした遺族は、故人が病気で長く療養し徐々に弱っていって死を覚悟していた場合より不条理感が強く残ると言われている。世界各国ではその際の心のケアにあたるのが宗教であるが、自分は無信仰であるため個人で何とかしなければならない。この様なブログを書いたり、時が経って母親の事がある程度風化されるのを待つ以外にない。

亡くなった当日の母は朝から特に変わった様子もなく元気だったらしい。だからその日に自分が死ぬとは思っていなかったのだ。母は死ぬ間際に何を思ったのか。その際、息子である自分には何を言うのか。その言葉を聞く機会が失われてしまった。母は気を遣わせないのんびりした性格で自分には思ったことを何でも言う人だったが人生とは、とか死について改まって語るような人ではなかった。なので一度もそんなような話しをせずに終わってしまった。

母親を亡くしてみて思うことは母は自分に似ているのではなく自分が母に似ている、ということ。主体性はあくまで母の方で母にしてみれば息子はいくつになっても自分が産んだ子供であり、この圧倒的な事実に敵う訳ないのである。当然のことだが。

些細なことで気になっていることがある。

母が亡くなった当日、自分が勤務する会社の同じ部署で働いている派遣社員の子が「頭痛が酷い」と訴えていた。「こんなことは今までにない」と。シンクロニシティ?後になって彼に「霊感はあるのか?」と聞くと彼は「霊感などないし人から言われたこともない」と言う。自分も霊感などないし霊的なことは全く信じていないのだが、こんなことが気になっているのは実は霊的なことを信じているからなのだろうか。あの日以降、今も同じ職場にいる彼に一度も頭痛は起きていない。

この世の人間が亡くなった人と一度だけ再会できるというストーリーの映画を観たことがある。願望としてたとえ夢の中であってもあのようなことが起きないだろうかと期待している自分がいる。マザコンであろうと何であろうと構わない。もう一度だけ母と会って別れを言いたい。無理なのは分かっているのだが。

自分としては、母親の死は受け入れている。現実に母は骨になってしまっているのだ。でも気持ちは納得できていない。その死にはそれぞれの立場による局面、状況があった...。しかしそれは今さら言っても虚しいだけ。もう何をどう言ったって母は戻らないのだから。

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LAURA NYRO『Mother's Spiritual』1984

Mother's Spiritual, a song by Laura Nyro on Spotify 

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アクセスしてくださる皆様(アンチの方もいますけど)を信頼し心を開放して書いているのがここのブログ。色々と脳裏に浮かび、この内容でupしようかどうか迷ったがそこは自分にとって再び音楽に“かまける”ためのエクスキューズであることに思い至ったとご理解いただければ幸いである。