ペギーリプトンと「ガールイズマイン」

PEGGY LIPTONといえばQUINCY JONESの元妻、女優RASHIDA JONESの母、そして何といっても『ツインピークス』に出演した演技が印象に残っているが生涯に1枚だけ素晴らしいソロアルバムを残している。

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PEGGY LIPTON『Peggy Lipton』1968年

PEGGYがモデル、女優として人気がピークだった1968年、21歳の時LOU ADLERのプロデュースでアルバム制作が行われた。1968年、LOUプロデュース作といえばCAROLE KINGのバンドTHE CITYの『夢語り』があり、

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THE CITY『Now That Everything's Been Said』1968年

この2作品は同時期に同じスタジオでレコーディングが行われているのだ。そのせいかPEGGYのアルバムにはCAROLEの曲が5曲収録されており他にLAURA NYROのカバーが2曲収録されていてCAROLE、LAURAファンには必須アイテムといえるアルバムなのである。

LAURAとPEGGYは10代の頃から友人で同じ歳、同じニューヨーク出身、同じユダヤアメリカ人であることから意気投合したのだろう、PEGGYのアルバムにはミュージシャンとしてのLAURAの影響を強く感じる部分がある。

「LU」

LAURAのセカンドアルバム『イーライと13番目の懺悔』収録曲のカバー。PEGGYはコケティッシュに歌う。


Peggy Lipton-Lu

HONEY WON'T LET ME」

PEGGYの作詞作曲。LAURAの影響を強く感じる曲だけど生涯1枚だけというのが凄く残念に思えるほど音楽的才能もあった人だったことが分かる。


peggy lipton/honey won't let me

 

さて、話題はガラッと変わって誰もが知っているMICHAEL JACKSONの『スリラー』。

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MICHAEL JACKSON『Thriller』1982年

QUINCY JONESのプロデュース作であるこのアルバムから第1弾シングルはPAUL McCARTNEYとのデュエットソング「THE GIRL IS MINE」。

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実はPEGGYとPAULはビートルズ時代、PAULがLINDAと結婚する前に交際していたことがあるとPEGGYの自叙伝の中で語られているのだ。PAULは当時、イギリス人女優JANE ASHERと婚約中でありイギリスにJANE、アメリカにPEGGYがいたことになる。

1982年『スリラー』発売当時、QUINCYとPEGGYは婚姻関係にあり(1990年に離婚)MICHAELの作詞作曲である「THE GIRL IS MINE」の歌詞はPAULとMICHAELがひたすら【彼女は僕のもの】と言い合うだけ。当時はもう過去のことなど時効だったと思うがPAULとPEGGYについて知ってか知らずか全くの第三者であるMICHAELは面白がっているかのような詞を書いた。


The Girl Is Mine-Michael Jackson(英語歌詞付き和訳)

個人的には「THE GIRL IS MINE」が何故あんな詞なのか疑問に思ったことなど無かったがPEGGYに関して一番好奇心を搔き立てられたエピソードだった。R.I.P.